【閑話休題】【質疑応答】社会保障費の削減と「安楽死」を結び付ける言説についてどう考えますか?

質問:安楽死についてどう考えるか。SNSや政治家の発言を観察していると、社会保障費削減と安楽死を結びつける言説をしばしば目にする。どう考えるか。

回答:やめろ。

説明:医療費と安楽死を結びつける言説をしばしば目にする。これは本当に憂慮すべき事態と考える。例えば、医療ジャーナリストの那須優子は、Xのポストで次のように述べている。

 

【日本にも安楽死法案を】寝たきりになって食べたいものも食べられなくなって悪徳医者の金儲けのために虐待同然で生かされても医療費年間500万円、介護費用に500万円つまり1000万円の税金と健康保険料が無駄遣いされるんよ 介護が必要になったら安楽死するから その分元気で暮らしている間の老齢年金支給額を増やすインセンティブ制度を設けてほしい[i]

 

 また、そのような誤解を招く発言もしばしば見かける。例えば、国民民主党玉木雄一郎は、2024年10月12日の党首討論会で次のように発言した。なお、この発言については、本人は後にⅩのポストにて、「尊厳死は自己決定権の問題[ii]」と説明している。

 

社会保障の保険料を下げるために、われわれは、高齢者医療、とくに終末期医療の見直しにも踏み込みました。尊厳死の法制化も含めて。[iii]

 

 結論から言うと、経済的観点から安楽死を議論することはやめたほうがいい。というか、やめろ。というのは、すでにそれを主張し実施した実例があるからだ。それを実行した団体の名は、国家社会ドイツ労働者党(ナチス)という。たとえば、図 8‑1に示すのは1938年に発表されたナチスのポスターである[iv]。ある遺伝性疾患者と、医療者と思しき男性の写真とともに、次のようなキャプションがついている。「60.000ライヒスマルク。これがこの遺伝性疾患者の生涯に民族共同体が負うコストです。同志よ、これはあなたのお金ですよ。『新民族』を読みましょう。[v]

 

ナチスのポスター

 このような、社会的な経済効率性を根拠とした安楽死の議論は、ワイマール時代にはおおむね否定的に考えられていたが、ナチス・ドイツの時代になると、障害者の安楽死計画に発展することになる。このナチス安楽死計画に直接的、間接的に利用されたと指摘されている書籍がある[vi]。その書籍の名はカール・ビンディングとアルフレート・ホッヘによる『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(フェリックス・マイナー出版,1920)である。この書籍は、森下直貴・佐野誠『「生きるに値しない命」とは誰のことか』(中央公論新社,2020)の中で全文訳出されている。この書籍の中におけるホッヘの主張を、上記書籍から、次に引用する。なお、引用にあたり、原注と訳注は省略した。太字は、日本語版の表記に従っている。

 

 精神遅滞の人たち(Idioten)の養護にこれまでは年間一人あたり平均一三〇〇マルクかかっている。ドイツには今〔施設外で〕存命している者と施設で擁護されている者との両方を合わせ平均寿命を五〇年と仮定すると、容易に推察されるように何とも莫大な財が食品や衣服や暖房の名目で国民財産から非生産的な(unproduktiv)目的のために費やされることになる。[vii]

 

 以上のホッヘの主張やナチスのポスターと、「税金と健康保険料が無駄遣い」とする主張の間には似ている点がある。それは、経済のために人命を犠牲にしようとしている点だ。実際、ホッヘの主張について、佐野誠はこう指摘する。

 

ホッヘの「安楽死」是認の真意は、経済的荒廃からのドイツの解放のために、非生産的な「生きるに値しない命」を犠牲にすることにある。[viii]

 

 さて「生きるに値しない命」の選別を始めるとどうなるかだ。個人が選別を行った事例が、2016年の相模原障害者施設殺傷事件である。この事件の犯人は、犯行動機についてこう述べているという。

 

「意思疎通のとれない障害者は安楽死させるべきだ」「重度・重複障害者を養うには莫大なお金と時間が奪われる」[ix]

 

 個人の犯行ですら19人の死者と26人もの負傷者を発生させた。もし、安楽死が、国家によって是認されたとき何が起きるか。恐ろしいこと-例えば、T4作戦の再現-が起きるだろう。やめたほうがいい。というか、やめろ。

 集団を維持するために、何らかの間引きを行うフィクションは、繰り返し書かれてきた。例えば、深沢七郎楢山節考』(1956)、藤子・F・不二雄「定年退食」(『藤子・F・不二雄 SF全短編 第一巻 カンビュセスの籤』,中央公論社,1987 所収)、星新一生活維持省」(星新一,『ボッコちゃん』,新潮文庫,1971 所収)などがある。だが、これらは2024年の日本と比較できない。なぜならば、上に挙げたフィクションでは、食料や土地といった実物資産の取り合いが間引きを誘発している。一方、貨幣は、政府の財政支出によって発行できる。医療費削減と安楽死を結び付ける議論の大前提にあるのは、実物資産と貨幣の同一視であり、その前提自体が誤っている。

 また、トロッコ問題のように、片方を助けるともう片方が助からない状況を設定し、登場人物の心の動きを描写したフィクションも多数作られてきた。古典的なものは、トム・ゴドウィン「冷たい方程式」(1954)、最近ではケン・リュウもののあはれ」(ケン・リュウもののあはれ』,早川書房 ハヤカワ文庫,2017 所収)がある。もしかしたら、今の日本はそのような状況なのではないか? と考えるかもしれない。もちろん、これも誤りだ。なぜならば、上に挙げたフィクションで、登場人物たちの行動を制約しているものは、物理法則という自然が決めたルールだからだ。一方、経済を制約しているのは、財政健全化という人間が決めたルールである。自然と人間社会を混同すべきではない。人間が決めたルールは、人間で変更できるのである。ルールの順守が、大多数に幸福をもたらさないのであれば、ルール自体の変更を検討すべきである。そして、変更できるのであれば、変更するべきである。

 

[i] https://x.com/nasuyuko/status/1797095984109084921 , 2024/12/01閲覧

[ii] https://x.com/tamakiyuichiro/status/1845066229599568032 , 2024/12/28閲覧

[iii] 【ライブ】7党 党首討論会 衆議院総選挙を前に論戦繰り広げる【LIVE】(2024年10月12日) ANN/テレ朝, ANNnewsCH, https://www.youtube.com/live/6Nzad4UvEuI の1時間41分付近から, 2024/12/1閲覧

[iv] NSDAP, https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/32/EuthanasiePropaganda.jpg/462px-EuthanasiePropaganda.jpg , 2024/12/15閲覧

[v] https://ja.wikipedia.org/wiki/生きるに値しない命, 2024/12/15閲覧

[vi] 森下直貴、佐野誠,『新版「生きるに値しない命」とは誰のことか』,中央公論新社,2020,p132

[vii] 森下直貴、佐野誠,『新版「生きるに値しない命」とは誰のことか』,中央公論新社,2020,p85

[viii] 森下直貴、佐野誠,『新版「生きるに値しない命」とは誰のことか』,中央公論新社,2020,p124

[ix] 「《相模原45人殺傷事件》「こいつしゃべれないじゃん」と入所者に刃物を 植松聖死刑囚の‟リア充”だった学生時代」,文春オンライン, https://bunshun.jp/articles/-/45692 , 2024/12/26閲覧