貨幣と負債

 貨幣は、それが貨幣として流通することを意図した発行者に負債があることを示します

 例えば、日本銀行券の発行者は、日本銀行です。日本銀行券は、それを使用する家計や企業にとっては資産ですが、日本銀行にとっては負債です。この事実は、日本銀行のバランスシートを確認すると一目瞭然です。例えば、令和6年の貸借対照表では、発行銀行券は「負債の部」に計上されています。[i]

 銀行の利用者が、日本銀行券を預け入れた時、銀行預金が生まれます。この銀行預金は、銀行にとって負債です。兵庫県洲本市は、洲本温泉利用券という一種の貨幣を発行していました。この利用券は、洲本市にとって負債です。店舗は、ポイントカードや商品券を発行します。この商品券は、店舗にとって負債です。

 人間社会が発行していないものを貨幣として扱うとき、負債はありません。その一例は、金です。金を生産したのは自然であり、人間社会ではありません。ですから、金を貨幣として扱う場合、負債はありません。

 また、人間社会が生産した何らかの実物資産が、発行者の意図を外れて、貨幣として使われる場合があり得ます。例えば、破綻した銀行の紙の株券が貨幣として使われ始めたような場合です。この場合も、資産がそのまま貨幣になるわけですから、負債はありません。このような事例を除外するため、「貨幣の発行者」ではなく、「貨幣として流通することを意図した発行者」と記述しています。

 私たちは、普段、貨幣を負債だとは思いません。資産だと考えます。その理由は、大抵の場合、私たちは貨幣の利用者だからです。

 

[i] 「第140回事業年度上半期財務諸表等」, 日本銀行, https://www.boj.or.jp/about/account/data/zai2411a.pdf

【閑話休題】【質疑応答】社会保障費の削減と「安楽死」を結び付ける言説についてどう考えますか?

質問:安楽死についてどう考えるか。SNSや政治家の発言を観察していると、社会保障費削減と安楽死を結びつける言説をしばしば目にする。どう考えるか。

回答:やめろ。

説明:医療費と安楽死を結びつける言説をしばしば目にする。これは本当に憂慮すべき事態と考える。例えば、医療ジャーナリストの那須優子は、Xのポストで次のように述べている。

 

【日本にも安楽死法案を】寝たきりになって食べたいものも食べられなくなって悪徳医者の金儲けのために虐待同然で生かされても医療費年間500万円、介護費用に500万円つまり1000万円の税金と健康保険料が無駄遣いされるんよ 介護が必要になったら安楽死するから その分元気で暮らしている間の老齢年金支給額を増やすインセンティブ制度を設けてほしい[i]

 

 また、そのような誤解を招く発言もしばしば見かける。例えば、国民民主党玉木雄一郎は、2024年10月12日の党首討論会で次のように発言した。なお、この発言については、本人は後にⅩのポストにて、「尊厳死は自己決定権の問題[ii]」と説明している。

 

社会保障の保険料を下げるために、われわれは、高齢者医療、とくに終末期医療の見直しにも踏み込みました。尊厳死の法制化も含めて。[iii]

 

 結論から言うと、経済的観点から安楽死を議論することはやめたほうがいい。というか、やめろ。というのは、すでにそれを主張し実施した実例があるからだ。それを実行した団体の名は、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)という。たとえば、図 8‑1に示すのは1938年に発表されたナチスのポスターである[iv]。ある遺伝性疾患者と、医療者と思しき男性の写真とともに、次のようなキャプションがついている。「60.000ライヒスマルク。これがこの遺伝性疾患者の生涯に民族共同体が負うコストです。同志よ、これはあなたのお金ですよ。『新民族』を読みましょう。[v]

 

ナチスのポスター

 このような、社会的な経済効率性を根拠とした安楽死の議論は、ワイマール時代にはおおむね否定的に考えられていたが、ナチス・ドイツの時代になると、障害者の安楽死計画に発展することになる。このナチス安楽死計画に直接的、間接的に利用されたと指摘されている書籍がある[vi]。その書籍の名はカール・ビンディングとアルフレート・ホッヘによる『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(フェリックス・マイナー出版,1920)である。この書籍は、森下直貴・佐野誠『「生きるに値しない命」とは誰のことか』(中央公論新社,2020)の中で全文訳出されている。この書籍の中におけるホッヘの主張を、上記書籍から、次に引用する。なお、引用にあたり、原注と訳注は省略した。太字は、日本語版の表記に従っている。

 

 精神遅滞の人たち(Idioten)の養護にこれまでは年間一人あたり平均一三〇〇マルクかかっている。ドイツには今〔施設外で〕存命している者と施設で擁護されている者との両方を合わせ平均寿命を五〇年と仮定すると、容易に推察されるように何とも莫大な財が食品や衣服や暖房の名目で国民財産から非生産的な(unproduktiv)目的のために費やされることになる。[vii]

 

 以上のホッヘの主張やナチスのポスターと、「税金と健康保険料が無駄遣い」とする主張の間には似ている点がある。それは、経済のために人命を犠牲にしようとしている点だ。実際、ホッヘの主張について、佐野誠はこう指摘する。

 

ホッヘの「安楽死」是認の真意は、経済的荒廃からのドイツの解放のために、非生産的な「生きるに値しない命」を犠牲にすることにある。[viii]

 

 さて「生きるに値しない命」の選別を始めるとどうなるかだ。個人が選別を行った事例が、2016年の相模原障害者施設殺傷事件である。この事件の犯人は、犯行動機についてこう述べているという。

 

「意思疎通のとれない障害者は安楽死させるべきだ」「重度・重複障害者を養うには莫大なお金と時間が奪われる」[ix]

 

 個人の犯行ですら19人の死者と26人もの負傷者を発生させた。もし、安楽死が、国家によって是認されたとき何が起きるか。恐ろしいこと-例えば、T4作戦の再現-が起きるだろう。やめたほうがいい。というか、やめろ。

 集団を維持するために、何らかの間引きを行うフィクションは、繰り返し書かれてきた。例えば、深沢七郎楢山節考』(1956)、藤子・F・不二雄「定年退食」(『藤子・F・不二雄 SF全短編 第一巻 カンビュセスの籤』,中央公論社,1987 所収)、星新一生活維持省」(星新一,『ボッコちゃん』,新潮文庫,1971 所収)などがある。だが、これらは2024年の日本と比較できない。なぜならば、上に挙げたフィクションでは、食料や土地といった実物資産の取り合いが間引きを誘発している。一方、貨幣は、政府の財政支出によって発行できる。医療費削減と安楽死を結び付ける議論の大前提にあるのは、実物資産と貨幣の同一視であり、その前提自体が誤っている。

 また、トロッコ問題のように、片方を助けるともう片方が助からない状況を設定し、登場人物の心の動きを描写したフィクションも多数作られてきた。古典的なものは、トム・ゴドウィン「冷たい方程式」(1954)、最近ではケン・リュウもののあはれ」(ケン・リュウもののあはれ』,早川書房 ハヤカワ文庫,2017 所収)がある。もしかしたら、今の日本はそのような状況なのではないか? と考えるかもしれない。もちろん、これも誤りだ。なぜならば、上に挙げたフィクションで、登場人物たちの行動を制約しているものは、物理法則という自然が決めたルールだからだ。一方、経済を制約しているのは、財政健全化という人間が決めたルールである。自然と人間社会を混同すべきではない。人間が決めたルールは、人間で変更できるのである。ルールの順守が、大多数に幸福をもたらさないのであれば、ルール自体の変更を検討すべきである。そして、変更できるのであれば、変更するべきである。

 

[i] https://x.com/nasuyuko/status/1797095984109084921 , 2024/12/01閲覧

[ii] https://x.com/tamakiyuichiro/status/1845066229599568032 , 2024/12/28閲覧

[iii] 【ライブ】7党 党首討論会 衆議院総選挙を前に論戦繰り広げる【LIVE】(2024年10月12日) ANN/テレ朝, ANNnewsCH, https://www.youtube.com/live/6Nzad4UvEuI の1時間41分付近から, 2024/12/1閲覧

[iv] NSDAP, https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/32/EuthanasiePropaganda.jpg/462px-EuthanasiePropaganda.jpg , 2024/12/15閲覧

[v] https://ja.wikipedia.org/wiki/生きるに値しない命, 2024/12/15閲覧

[vi] 森下直貴、佐野誠,『新版「生きるに値しない命」とは誰のことか』,中央公論新社,2020,p132

[vii] 森下直貴、佐野誠,『新版「生きるに値しない命」とは誰のことか』,中央公論新社,2020,p85

[viii] 森下直貴、佐野誠,『新版「生きるに値しない命」とは誰のことか』,中央公論新社,2020,p124

[ix] 「《相模原45人殺傷事件》「こいつしゃべれないじゃん」と入所者に刃物を 植松聖死刑囚の‟リア充”だった学生時代」,文春オンライン, https://bunshun.jp/articles/-/45692 , 2024/12/26閲覧

【お知らせ】おもしろ同人誌バザール大崎に出店します

 突然ですが、12/29に大崎で開催されるおもしろ同人誌バザールに出店します。スペースは一番太郎10。サークル名は坂川経済研究所です。少部数ですが、異常論文『実務担当者から見た経済学』およびその補足本3種を持ち込みます。よろしくお願いいたします。イベント詳細は下記。

 

おもしろ同人誌バザール大崎

おもしろ同人誌バザール「大崎」@大崎コミックシェルター

財政支出と、望ましいと考えられる経済的取引

 さて、仮に、何らかの財政支出が行われ、貨幣が増加したとき、私たちはこの貨幣をどのように使えば良いのでしょうか?

 まず、気をつけなければいけない点は、緊縮策を取るべき資産の存在です。例えば、外貨です。当たり前ですが、外貨は生成できません。財政支出の増加が、外貨需要の増加につながることは避けなければいけません。外貨が必要な経済的取引も避けなければいけません。国家レベルで見た場合、輸入が必要となる経済的取引は避けることを意味します。
 また、生産能力に問題がある実物資産も避けなければいけません。このような実物資産は、供給に問題を抱えている実物資産(例えば誰も生産していない石油)や、時間(誰も、24時間を25時間にできたりはしません)が該当します。いくら財政支出を行おうとしても、実物資産の生産量の上限が経済的取引の取引額の上限になるからです。
 最後に、財政支出が与える効果です。価値を維持するか、価値がさらに増加するような効果を与えなければいけません。なぜなら、貨幣とは実物資産が提供する価値に対応するものだからです。貨幣が増えた分だけ、価値も増えなければいけません。財政支出は、正の効果を与えなければいけません。
 以上より望ましい財政出動とは、(1)国内から調達し(2)供給能力に問題ない実物資産で(3)正の効果をもたらす(価値の出力ないしは価値を維持する)経済的取引です。ここで、注意しなければいけないのは、(1)(2)(3)は必ず同時に満たせる保証はなく、どれかしか満たさない場合もあるということです。例えば、風力発電所のように、生産量の拡大には発電設備が必要だが、その設備は自国内から調達できず、外国からの調達が必要であるというような場合です。このような場合は、個別の事情を鑑みて、ケースバイケースで判断することになるでしょう。
 また、どの程度まで自国で調達できるかも議論になるでしょう。私たちの身の回りの実物資産は、多かれ少なかれ海外からの輸入品に賄われています。組み立ては国内で行っているが部品は海外で生産している。部品は国内で生産しているが、材料は海外から調達している(鉄鋼など)。材料も国内で調達しているが、発電に必要な燃料は海外から調達している(電炉メーカなど)。と、供給網をさかのぼってゆけば、どこかの段階で国外から実物資産を調達しているためです。それから、何を基準に判断すればよいかも問題になるでしょう。また、その判断基準を、誰もが実践できるかどうかも問題になるでしょう。
 そこで、ここでは、判断基準として、実物資産の原産地を採用します。具体的にいえば、MADE IN JAPANの表記があれば、自国通貨で調達でき、MADE IN JAPANの表記でなければ、自国通貨で調達できないと判断しましょう。

「財政支出」を議論する上での大前提

財政支出を巡る議論を行う上で、大前提があります。それは、経済的取引において、適切な対価を支払っているということです。例えば、賃金が低く拘束時間が長くて問題となっている経済的取引、価値と賃金が見合っていない経済的取引があるのならば、価値と賃金が見合うまで賃上げを行うべきです。仮に、賃上げを行ったとしても、実物資産の供給能力は変化しません。賃上げを行う前と行う後で、労働者の拘束時間に変化はないからです。この場合、消費者からは、インフレと認識されますが、このインフレは容認されるべきものでしょう。

【閑話休題】政府総債務残高(対GDP比)とは結局何か

質問:政府総債務残高(対GDP比)とは結局何か

回答:自国通貨建てが外貨建てかで判断が異なる。
 ここで、極端な2つの事例を考える。

(1)債務が外貨建てであり、内需が無視できるほど小さい場合

 内需が無視できるので、GDPとは外需のみである。つまり輸出額−輸入額を意味する。また、外貨建てであるので、貨幣の発行主体は国家の外部に存在する。例えば、世界銀行などが相当する。

 この状況は、家計の借金のアナロジーで理解できる。家計は日本円を発行できない。日本円の発行主体は家計の外部にある。これは、国家と外貨の関係と同じである。

(2)債務が自国通貨建てであり、外需を無視できる場合
 この場合は、MMTの考え方が適用できる。
 自国通貨建ての場合は、GDPは経済的主体の粗利益を意味する。ここで、経済的主体とは国家ではなく、国家の内部にある企業などを指す。また、粗利益とは国家の粗利益ではなく、国家内に存在する企業等の粗利益である。
 また、自国通貨建ての場合、政府の総債務残高は、現在までに発行してきた貨幣の総量に等しい。
 家計に例えた場合、自国通貨に該当するものは日本円ではない、家計内でしか通用せず家計内にその発行主体をもつ貨幣である。例えばモズレーの名刺が該当する。そして、政府総債務残高は今までに発行されたモズレーの名刺の総量である。

 つまり、政府総債務残高(対GDP比)とは、モズレーの名刺で計算された粗利益に対する発行済みのモズレーの名刺の比率を意味する。
 

【閑話休題】質問:万年筆マネーで5000兆円を創造できますか?

質問:万年筆マネーで5000兆円を創造できますか?

回答:創造できるが、使い切ることは極めて困難であり、実質的に不可能に近いだろう。

説明:「5000兆円欲しい」とは、Twitterで時々見られるネタ画像であり、大抵の場合、頭の悪そうな装飾を施された文字で表現される。仮に、何らかの手違いによって、あなたの口座に万年筆マネーで創造された5000兆円が振り込まれた場合、何が起きるだろうか?

 まず、5000兆円は、相当な量の実物資産が購入できる額であることは間違いない。日本の国家予算は114兆3812億円(2023年度)であり、日本の国家予算の約44年分に相当する。

 もう少し、具体的な例でいうと、青函トンネルの建設費は、地上部のアプローチ部分も含め6890億円*1、つまり約0.7兆円である。ということは、7兆円あれば、青函トンネルはあと10本建設できる。仮に、予算を10倍多く見積もっても70兆円である。5000兆円あれば、十分お釣りが返って来るだろう。あなたは青函トンネル10本を買えるだろうか。

 ここで、あなたは、未定義の仕様が一つあることに気づくだろう。それは、納期である。現在の青函トンネルは、1961年に着工し1983年に完成した。0.7兆円を使うのに22年、調査も含めるとそれ以上の歳月を必要とした。青函トンネルの建設とは、それだけの年月が必要な大工事であり、いくらお金があったとしても、この期間は短縮できない。70兆円を使って青函トンネル10本を建設しようとした時も、同様なことが起こる。

 1ヶ月では無理だろう。おそらく、打ち合わせの日程を決めるだけで終わるだろう。1年でも無理だろう。地質調査に取り掛かるだけで精いっぱいかもしれない。10年でも無理だろう。一本目のトンネルの本工事にも着手していないかもしれない。20年経てば一本目が完成するかもしれない。だが、これをあと9回繰り返す必要がある。仮に、一本ずつ建設していったとすれば(そして、技術革新などによる工期の短縮などがないと仮定すれば)10本目のトンネルが完成するのは200年後である。200年後にはじめて、70兆円が支払われる。ここで、制約になっているのは、お金ではない。青函トンネルの建設能力という、実物資産の供給能力である。これは、中野剛志氏が主張していたことと変わりがない。中野氏はこう主張する。「自国通貨発行権をもつ政府は、レストランに入っていくらでもランチを注文することができる。カネの心配は無用。ただし、レストランの供給能力を超えて注文することはできませんけどね。*2この文書では、レストランの供給能力に該当するものが、青函トンネルの建設能力である。

 だから、供給能力が十分あるものに対して支出をしてみよう。例えば、5chの鉄道総合版あたりで、乗りつぶしを趣味にしている鉄道オタクを10人募集しよう。そのくらい、簡単に集まるだろう。一人当たり50万円の現金を配り、配布した現金は電車賃にしか使ってはいけないと条件を付け、1ヶ月間に使い切るように依頼する。結果、何が起こるだろうか。まず、1ヶ月間の間に、鉄道業界全体の運賃収入が500万上がる。そして、最も混雑する場合でも、1両編成のディーゼルカーの乗客が10人増える。それだけである。

 青函トンネルとの違いは、実物資産の供給能力である。それは、あなたの近くにある身近な鉄道を思い浮かべるだけで十分だろう。数分おきに運行される16両編成の新幹線、1時間おきに運行される在来線特急、10分おきにやってくる各駅停車、山の中を進むガラガラの1両編成のディーゼルカー、どれも、乗客が10人程度増えたとしても、移動サービスを提供するだけの余裕がある。そして、供給能力が限界になるまで、万年筆マネーで、お金を創造することができる。

 私たちは、「5000兆円ほしい!」と聞いて、ありえない話だと笑う。なぜ、ありえないのか、それは、お金の創造の側にあるのではなく、実物資産の供給能力の側にある。5000兆円分の実物資産を供給することは、2023年現在の日本においては、誰にもできないことなのだ。