「財政支出」を議論する上での大前提

財政支出を巡る議論を行う上で、大前提があります。それは、経済的取引において、適切な対価を支払っているということです。例えば、賃金が低く拘束時間が長くて問題となっている経済的取引、価値と賃金が見合っていない経済的取引があるのならば、価値と賃金が見合うまで賃上げを行うべきです。仮に、賃上げを行ったとしても、実物資産の供給能力は変化しません。賃上げを行う前と行う後で、労働者の拘束時間に変化はないからです。この場合、消費者からは、インフレと認識されますが、このインフレは容認されるべきものでしょう。

【閑話休題】政府総債務残高(対GDP比)とは結局何か

質問:政府総債務残高(対GDP比)とは結局何か

回答:自国通貨建てが外貨建てかで判断が異なる。
 ここで、極端な2つの事例を考える。

(1)債務が外貨建てであり、内需が無視できるほど小さい場合

 内需が無視できるので、GDPとは外需のみである。つまり輸出額−輸入額を意味する。また、外貨建てであるので、貨幣の発行主体は国家の外部に存在する。例えば、世界銀行などが相当する。

 この状況は、家計の借金のアナロジーで理解できる。家計は日本円を発行できない。日本円の発行主体は家計の外部にある。これは、国家と外貨の関係と同じである。

(2)債務が自国通貨建てであり、外需を無視できる場合
 この場合は、MMTの考え方が適用できる。
 自国通貨建ての場合は、GDPは経済的主体の粗利益を意味する。ここで、経済的主体とは国家ではなく、国家の内部にある企業などを指す。また、粗利益とは国家の粗利益ではなく、国家内に存在する企業等の粗利益である。
 また、自国通貨建ての場合、政府の総債務残高は、現在までに発行してきた貨幣の総量に等しい。
 家計に例えた場合、自国通貨に該当するものは日本円ではない、家計内でしか通用せず家計内にその発行主体をもつ貨幣である。例えばモズレーの名刺が該当する。そして、政府総債務残高は今までに発行されたモズレーの名刺の総量である。

 つまり、政府総債務残高(対GDP比)とは、モズレーの名刺で計算された粗利益に対する発行済みのモズレーの名刺の比率を意味する。
 

【閑話休題】質問:万年筆マネーで5000兆円を創造できますか?

質問:万年筆マネーで5000兆円を創造できますか?

回答:創造できるが、使い切ることは極めて困難であり、実質的に不可能に近いだろう。

説明:「5000兆円欲しい」とは、Twitterで時々見られるネタ画像であり、大抵の場合、頭の悪そうな装飾を施された文字で表現される。仮に、何らかの手違いによって、あなたの口座に万年筆マネーで創造された5000兆円が振り込まれた場合、何が起きるだろうか?

 まず、5000兆円は、相当な量の実物資産が購入できる額であることは間違いない。日本の国家予算は114兆3812億円(2023年度)であり、日本の国家予算の約44年分に相当する。

 もう少し、具体的な例でいうと、青函トンネルの建設費は、地上部のアプローチ部分も含め6890億円*1、つまり約0.7兆円である。ということは、7兆円あれば、青函トンネルはあと10本建設できる。仮に、予算を10倍多く見積もっても70兆円である。5000兆円あれば、十分お釣りが返って来るだろう。あなたは青函トンネル10本を買えるだろうか。

 ここで、あなたは、未定義の仕様が一つあることに気づくだろう。それは、納期である。現在の青函トンネルは、1961年に着工し1983年に完成した。0.7兆円を使うのに22年、調査も含めるとそれ以上の歳月を必要とした。青函トンネルの建設とは、それだけの年月が必要な大工事であり、いくらお金があったとしても、この期間は短縮できない。70兆円を使って青函トンネル10本を建設しようとした時も、同様なことが起こる。

 1ヶ月では無理だろう。おそらく、打ち合わせの日程を決めるだけで終わるだろう。1年でも無理だろう。地質調査に取り掛かるだけで精いっぱいかもしれない。10年でも無理だろう。一本目のトンネルの本工事にも着手していないかもしれない。20年経てば一本目が完成するかもしれない。だが、これをあと9回繰り返す必要がある。仮に、一本ずつ建設していったとすれば(そして、技術革新などによる工期の短縮などがないと仮定すれば)10本目のトンネルが完成するのは200年後である。200年後にはじめて、70兆円が支払われる。ここで、制約になっているのは、お金ではない。青函トンネルの建設能力という、実物資産の供給能力である。これは、中野剛志氏が主張していたことと変わりがない。中野氏はこう主張する。「自国通貨発行権をもつ政府は、レストランに入っていくらでもランチを注文することができる。カネの心配は無用。ただし、レストランの供給能力を超えて注文することはできませんけどね。*2この文書では、レストランの供給能力に該当するものが、青函トンネルの建設能力である。

 だから、供給能力が十分あるものに対して支出をしてみよう。例えば、5chの鉄道総合版あたりで、乗りつぶしを趣味にしている鉄道オタクを10人募集しよう。そのくらい、簡単に集まるだろう。一人当たり50万円の現金を配り、配布した現金は電車賃にしか使ってはいけないと条件を付け、1ヶ月間に使い切るように依頼する。結果、何が起こるだろうか。まず、1ヶ月間の間に、鉄道業界全体の運賃収入が500万上がる。そして、最も混雑する場合でも、1両編成のディーゼルカーの乗客が10人増える。それだけである。

 青函トンネルとの違いは、実物資産の供給能力である。それは、あなたの近くにある身近な鉄道を思い浮かべるだけで十分だろう。数分おきに運行される16両編成の新幹線、1時間おきに運行される在来線特急、10分おきにやってくる各駅停車、山の中を進むガラガラの1両編成のディーゼルカー、どれも、乗客が10人程度増えたとしても、移動サービスを提供するだけの余裕がある。そして、供給能力が限界になるまで、万年筆マネーで、お金を創造することができる。

 私たちは、「5000兆円ほしい!」と聞いて、ありえない話だと笑う。なぜ、ありえないのか、それは、お金の創造の側にあるのではなく、実物資産の供給能力の側にある。5000兆円分の実物資産を供給することは、2023年現在の日本においては、誰にもできないことなのだ。

【閑話休題】いくつかの疑問とその回答

この項では、経済に関するいくつかの疑問について、これまでに述べてきたことを基に、筆者自身の考えを述べる。

脱成長は目指すべきか?

回答:目指すべきではない。

そう考える理由:いま、私たちが生きているこの世界はユートピアではない。気候危機は解決されていない。薬物に苦しんでいる国もある。少子化対策も必要である。疫病、教育、環境、貧困…解決すべき問題は山積みとなっている。これらの問題を一つ一つ解決してゆけば、解決した分だけ価値が生まれる。そして、貨幣は価値に対応したものなのだから、価値が生まれた分だけ貨幣が生まれる。結果として、新しく生成した貨幣の分だけ、経済成長するであろう。

 脱成長して良いのは、この世界が持続可能なユートピアになったときだ。今はそうではない。

 

財源が不要ならば、無税国家を宣言することはできないのか?

回答:できない。

そう考える理由:日本においては、借金は返済すべきものと考えられている。借金を返済すると信用ができる。信用ができると、次はもっと大きな借金をすることができる。

 ある人が、ある年の4月に100万円のお金を借りたとする。その人は、借りたお金を、金庫に格納し、次の年の3月に100万円を返済したとする。そうすると、その人には「借金を返済できる」という信用ができるので、4月からは100万円をちょっとだけ超える借金(例えば102万円)ができる。単年度で見れば、借金を返済しているが、返済と同時にちょびっと多く借りているので、年を追うごとに借金の総額は膨らんでいく。だが、借金の総額が増えても別に困ることはない。借りたお金は、常に金庫の中に格納されており、いつでも取り出し、返済できるからだ。

 話を簡単にするために、政府が日銀から直接お金を借りることができる状況を想定する。政府が日銀からお金を借りる。年度の初め、政府は、財政支出という形で国民にお金を渡す。国民は、このお金で経済活動を行う。年度の終わりに、政府は、徴税という形で国民からお金を引き出し、借金を返済する。前の例と同じく、単年度で見れば、政府は借金を返済しているが、返済と同時にちょびっと多く借りているので、年を追うごとに借金の総額は膨らんでいく。

 さて、ここで、国民は金庫の役割を担っている。政府が無税国家を宣言することは、国民(=金庫)からお金を引き出す方法を、自ら放棄するということを意味する。

 その場合、政府は、「借金を返済できる」という信用を失い、日銀からお金を借りることができなくなるであろう。結果、国民の持つお金の量は増加せず、経済活動は停滞するであろう。無税国家を宣言することはできない。

 

国債を、「国の借金」と呼ぶことの何が不適切なのか。

回答:日本国政府のバランスシートを考えたとき、借金も国債も、負債の項目に分類されることは同じである。しかし、「借金」という単語だけでは、「外貨建ての借金」か「自国通貨建ての借金」かの違いが区別できない。別の言い方をすれば、通貨の発行主体が、ある経済的主体の内部に存在するか、外部に存在するかの区別ができていない。

 日本国政府が、「外貨建ての借金」、ドル建てやユーロ建てや人民元建ての借金を持っている場合、日本国内にはそれらの通貨を発行できる機関はない。したがって、日本国政府および日本国を構成する経済的主体は、日本国の外部からそれらの通貨を調達する必要がある。調達のためには輸出などの経済的取引が必要になる。このとき、借金の返済と外貨を稼ぐための労働(例えば輸出)はセットである。だから、今楽をすると、将来返済するための苦労が待っている。

 自国通貨建て借金の場合は、自国の内部に通貨の発行主体がある。そして、発行された通貨も自国内にとどまる。借金をすることは、通貨を発行することと同じ意味になる。この場合、借金を返済するために働く必要はない。国内から通貨を回収すれば良いからだ。この回収方法は、徴税と呼ばれる。

 もう一つの問題は、「国」という単語のあいまいさである。

 「国」という単語では、「政府」か「家計」か「企業」か「地方自治体」かが、区別できない。「外貨建ての借金」の場合は、区別しなくても問題がない。政府も家計も企業も、外貨を発行していないからだ。どの経済的主体にとっても、等しく負債だからだ。「自国通貨建ての借金」の場合は、負債は政府の負債であって、国民の負債ではない。国債発行による財政支出の手順を確認すればわかるとおり、国債による財政支出をすることで、政府の負債が増えると同時に、国民の資産(銀行預金)も増加する。

 日本国債の場合は、「国の借金」ではなく、「政府による自国通貨建ての負債」と呼ぶべきである。

 

私たちは、一般的な常識として「借りたものは返しなさい」と教えられている。であるならば、「国の借金」も返済すべきではないのか。私たちが借金を返済する必要があり、国が借金を返済する必要がないのはなぜか。

回答:この質問に答えるためには、「国の借金」が自国通貨建てか、それとも自国通貨建て以外なのかを明確にする必要があります。
もし、自国通貨建て以外での借金であれば、一般的な常識のとおりに返済する必要があります。例えば、自国通貨建て以外の借金、ドル建ての「国の借金」があるとしましょう。日本国民も日本政府も日本企業もドルの発行者ではありません。ですから、ドルを稼ぎドルを返済する必要があります。ドル建ての代わりに、ユーロ建てでも、人民元建てでも、ジンバブエドル建てでも同じです。いずれの通貨も自国通貨ではないからです。政府の立場と、日本企業および日本国民の立場は同じです。
 しかし、自国通貨建ての場合においては、政府の立場と、日本企業および日本国民の立場は異なります。なぜならば、政府が借金をするプロセスが、自国通貨の生成過程に組み込まれているからです。このとき、自国通貨は銀行預金の形をとります。政府が自国通貨建てで借金をすればするほど、企業や国民が使える自国通貨(銀行預金)の量は増えます。逆に、政府が借金を返済すればするほど、自国通貨(銀行預金)の量は減ります。
 政府の国債は、民間銀行を介して、日銀に購入されています。したがって、最終的に政府は日銀に対して借金を負うことになります。この借金は、返す必要はあります。問題は、いつ・どれだけ返済するかです。
 仮に、本年度末に、日本政府がその自国通貨建ての借金をすべて返済したとしましょう。翌年度に、日本政府ができることは、完済額よりもちょっとだけ大きい額の借金ができる。それだけです。これは、日本政府が新規国債を発行し、新しく借金するのと何も変わりません。
 日本政府は、民間の預金を集めることはできません。日本政府が持つ日銀当座預金という資産と、国民や企業が持つ銀行預金という資産は、民間銀行のバランスシート上、同じではありません。なぜなら、日本政府の日銀当座預金は民間銀行の資産として計上され、国民や企業の銀行預金は負債として計上されます。したがって、日本政府は外貨準備高をドルで積立てるように、民間の預金の積み立てることはできません。
そもそも、借りた物を返さなければならない理由はなんでしょうか?
考えられる理由のひとつは、「借りた物を返す」という信用を積み立てることです。信用を積み立てるためには、毎年、返済すればよいのであって、完済する必要はありません。
 もうひとつの理由は、返さないことで誰かに迷惑がかかる可能性があるためです。例えば、図書館の本を返却しない場合、その本を読みたい利用者がいつまでたっても借りられず、悲しい思いをするかもしれません。
 しかし、政府が自国通貨建てで借金する場合、貨幣を作り出しているのですから、誰かの迷惑になるわけではありません。国民や企業から見ればお金が増え経済的なパイが増えるわけですから、喜ばしいことです。むしろ、返済するほうが、お金の総量は減り、国民や企業の迷惑になります。

 

【閑話休題】家計、企業、利益

本稿は、貨幣の総量が一定の社会における企業利益について検討します。この議論を行う上で、次の前提を置きます。

 

 (1)ある国家を想定し、その国内のみの企業活動を検討の対象とする。

 (2)企業及び家計が存在する。ここでは、一定期間の間に何らかの形で人を雇い、賃金が発生する形態のものを「企業」。そうではないものを「家計」と呼ぶ。

 (3)政府支出と歳入は等しい。つまりプライマリーバランスは0円であり、政府支出による新規の貨幣生成はないものとする。

 (4)銀行による貸出額と返済額は等しい。銀行の貸出による新規の貨幣生成はないものとする。

 (5)この国の海外との経常収支の総額、つまり貿易収支、サービス収支、第一次所得収支、第二次所得収支の総計は0とする。これは、例えば貿易で黒字を出していたとしても、それ以外の項目で赤字を出しており、赤字額と黒字額がぴったり一致していることを示す。

 (6)企業から家計へと貨幣が移転する[1]

 (7)家計から企業へと貨幣が移転する。B2Cビジネスと呼ばれる取引が該当する[2]

 (8)企業間で貨幣が移転する。この移転は、実物資産の所有権の移転ないしは利用を伴う。B2Bビジネスと呼ばれるものがこの取引にあたる[3]

 (9)家計間でも貨幣が移転する[4]

 (10)企業は貨幣を貯蓄できる。貯蓄額は時間的に変化がなく一定とする。

 (11)家計は貨幣を貯蓄できる。貯蓄額は時間的に変化がなく一定とする。

 

 このような状態において、家計と企業に注目して、貨幣の流れを示したものが以下の図です。

家計と企業

 図 において、矢印は貨幣の流れを示します。貨幣を生産できるのは、銀行による貸出、政府による支出、海外の3パターンだけです。そして、前提条件でも触れたように、貨幣の生産量を0としています。家計と企業は、貨幣を貯蓄することができるが、貨幣を生産できません。貨幣の新規生産量が0であるから、貨幣は企業と家計の間、企業と企業の間を往復するだけです。利益とはこの往復からはずれた貨幣の量を指します。そして、その貨幣は貯蓄に向かうしかありません。安定した状態においては、総貯蓄の増加分が0でなければならないため、企業の総利益も0でなければなりません。

 

[1] 賃金、中古品の買取、太陽光発電の売電、アフィリエイトの支払いなど

[2] 自動車の購入、ガス・電気・水道の利用、鉄道運賃、電気工事費用、電子書籍など

[3] 部品や製品の納品、利財の買取、生産財、ガス・電気・水道などの利用、不動産の賃貸、線路使用料、人材派遣、報告書の購入、論文の購入など

[4] 農産物の直売所、フリーマーケット、同人誌の購入など

財政支出と実物資産 - 投資の場合

投資の場合

 経済的主体を国家とした場合における「緊縮策を取る必要がない」経済的取引とは、投資の目的が次に示すいずれかである場合です。

 

・流出する外貨の削減

 一例として、風力発電所のタービンブレードの輸入が該当します。これらの部材を海外から輸入する際、確かにドルが必要になります。しかし、風力発電所の運用により、LNG火力の稼働率が減少し、LNG消費量が削減され、LNGの輸入が減少し、国外に流出するドルが削減されます。投資に使ったドルより、削減されたドルが大きければ投資は成功です。

 これらの部材が国内から調達された場合は、財政支出による貨幣の発行と赤字国債の発行が同時に行われます。そして、風力発電所の運用により、ドルが削減されます。

 

流入する外貨の増加

 一例として、輸出を目的とした工場の建設などがあげられます。投資により、一時的にドルが必要になったとしても、工場の運用、生産、輸出によって、投資額以上の外貨を稼げたのならば投資は成功です。

 

・(調達元を問わず)所有権が移転・消費・占有される実物資産の削減

一例として、断熱工事作業・LED照明への入替・低消費電力機器への交換による電力消費量の削減が考えられます。新しく設備投資が必要ですが、運用することで、別の実物資産(例えば、消費電力)の削減が期待できます。

 

・実物資産の生産能力/調達能力の向上

ロボット掃除機、食器洗浄機などによる自動化。これらの自動化により、家事にあてる時間を減らし、業務にあてる時間を増やすことができると考えられます。

リサイクル関係(選別機、剥線機など)、焼却灰からの金属の回収、回生ブレーキ、ゴミ焼却炉の発電設備、小水力発電設備など、既存の設備では廃棄されていたマテリアルや熱、エネルギーを回収することで、実物資産を増やすことができると考えられます。   

休漁期間の生活補填費用。漁場を回復させる最も簡単な方法は、そもそも漁をしない、ということが指摘されています。その場合、休漁期間中の漁師の生活を補填することは必要な投資と考えられます。

 

2022.09.17 新規作成

2022.09.19 更新

財政支出と実物資産 - 「消費」と「投資」

 まず、財政支出によって生成された貨幣を投資に使うか、消費に使うかが考えられます。さて、経済的主体とは、その経済的主体の外部から実物資産を調達し、内部で実物資産の変換を行い、別の実物資産として外部に出力する機能を持つものです。ここで、ある経済的主体が、ある経済的取引を行うとき、次の条件のうち1つ以上を満たす経済的取引を、「消費」と呼ぶことにします。

 

・経済的取引の目的が、経済的取引それ自体であり、実物資産の出力を目的としない場合

 一般的な娯楽や気晴らし等が該当します。私たちが映画館で映画を楽しむとき、楽しむ以上のことはしません。感想やレビューを書いて別の実物資産や貨幣を得ようとはしません。あくまでも、映画を観賞するためだけに、映画館へ足を運びます。

 

・経済的取引の目的が、経済的主体それ自身の維持である場合

 食事等が該当します。食事はもちろん気晴らしや楽しみにもなり得ますが、食事を摂ることの第一の目的は、自身の身体を維持することです。

 

・出力された実物資産が、負の価値を持つ場合

 内燃機関を内部にもつ経済的主体における燃料の消費等が該当します。内燃機関は、ガソリンという実物資産を、二酸化炭素という負の価値を持つ実物資産に変換するからです。

 

 また、ここでは、ある経済的主体が、ある経済的取引を行うとき、その経済的取引の目的が、次の条件のうち1つ以上を満たす経済的取引を、「投資」と呼ぶことにします。

 

・出力する実物資産の生産量の向上を目的とした場合

・出力する実物資産の価値の向上を目的とした場合

流入する外貨の増大を目的とした場合

・経済的主体が外部から調達する実物資産の削減を目的とした場合

・流出する外貨の減少を目的とした場合

・経済的主体の内部からの実物資産の調達を増やすことを目的とした場合

・需要と供給の一致を目的とした場合