【閑話休題】財政健全化に関する私見

 文藝春秋 2021年11月に掲載された通称「矢野論文」-「財務次官、モノ申す」-は多方面で議論を巻き起こした[1][2]。この論文の骨子をまとめると以下のようになる。

 

  • 現在、国の債務は地方と合わせて一千百六十六兆円に上り、これはGDPの二・二倍にあたり、先進国でもずば抜けて高い水準にある。
  • にもかかわらず政治の世界では、数十兆円規模の経済対策や消費税率の引き下げなど「バラマキ合戦」のような政策論が横行している。
  • このままバラマキを続けて、国の借金がさらに膨らみ続ければ、国家財政はいずれ破綻する。[3]

 

本稿は、以上の骨子に対する検討を行う。結論を先に述べると、以下のとおりである。

 

結論:「国の借金」と呼ばれるものが、日本国の内部に対して返済の義務を負っているものか、日本国の外部に対して返済の義務を負っているものか、また外貨建てか自国通貨建てかで判断が異なる。

 

(a)日本国政府が国外の経済的主体(例えば世界銀行)に対して「国の借金」の返済の義務を負っており、かつ、外貨建てである場合、バラマキは不適切であり、借金は減らす必要がある。

(b)日本国政府が国内の経済的主体(例えば日本銀行)に対して「国の借金」の返済の義務を負っており、かつ、自国通貨建てである場合、「国の借金」の総額は問題ではない。

 

(a)自国の外部から”外貨“で調達する場合

この場合は、一般的な企業、家計と同じと理解してよい。

 ここで、”外貨”とは、借金を負った経済的主体(この場合は日本国政府)にその貨幣を発行する権限がない貨幣という意味が含まれている。日本国の場合は、ドルやユーロやジンバブエ・ドルが該当する。一般的な企業や家計においては、円が相当する。日本国は、自国で勝手にドルやその他の国の貨幣を発行することはできないし、企業や家計が勝手に円を発行(例えば、コピー機で複製)した場合、罪に問われる。

 日本国や家計や企業などの経済的主体は、(その経済的主体の外部と)経済的取引を実施し、支払いは(その経済的主体にとっての)外貨で行われる。また、外部の経済的主体から借金をする場合、その借金は外貨建てで行われる。

 経済的主体とその外部との経済的取引には、さまざまな種類がある。日本国が行う経済的取引の一例とは貿易であり、その取引の結果は輸出額と輸入額に反映される。家計が行う経済的取引の一例は勤労と製品購入であり、その取引の結果は、収入額と支出額に反映される。企業が行う経済的取引の一例とは、製品販売と部品の購入であり、その結果は売上額と支出額に反映される。

 ある経済的主体に流入した外貨の量が、その経済的主体から流出する外貨の量より多い場合、経済的主体には外貨が蓄積する。この蓄積した外貨は、(日本国政府にとっての)外貨準備高や、(企業や家計にとっての)預金という形をとる。

 ある経済的主体に流入した外貨の量が、その経済的主体から流出する量より少ない場合、経済的主体は、蓄積した外貨を切り崩す。それでも間に合わない場合は、外部から外貨を調達する。このとき経済的主体は(外部に対して)負債を負う。この負債は、一般的に「借金」と呼ばれる。日本国政府が1961年に、新幹線の建設のために世界銀行から融資を受けた8000万ドルの貸出は、世界銀行に対する借金である。企業が銀行から融資を受けた場合、それは企業にとっては銀行に対する借金である。ある家計Aが別の家計Bからお金を借りた場合、家計Aは家計Bに対して借金をしている。

 GDPは、売上から外部購入費を引いたものと定義される。企業であれば、ほぼ粗利益に等しい。GDPの2.2倍の借金を持つということは、年間売上10億円、年間の外部購入費3億円、年間の粗利益7億円の企業が、15.4億円の借金を持っていることを意味する。だが、この計算にはその企業が持っている金融資産が計算に入っていない。もし、企業の銀行預金が0円ならば問題だろう。しかし、銀行預金が1500億円あるのならば、預金の1%程度の借金は問題ないであろう。

 このような観点から日本国を見た場合、2020年末の日本の対外純資産は356兆9700億円であり[4]。世界一である。また、外貨準備高は、2022年12月末時点で1,405,750百万ドルを確保している。つまり、全体で見ると借金を打ち消すだけの資産を持っており、財政的にはまったく問題がないと考えられる。

 無論、だからと言って放漫財政が許されるわけではない。なんでもかんでも外国から輸入し、その一方で何一つ輸出せず外貨を稼がないのであれば、あっという間に外貨準備高は底をつき、借金でドルを調達し、借金も返せなくなり、破たんするであろう。しかし、その対策として実施すべきは緊縮財政ではない。企業でいう”入るを計って出るを制す”になる。日本国にあたっては、ドルを稼いでドルを節約する、輸出を拡大し輸入を絞る、である。何を輸入しているかは貿易統計を見れば判断できる。2020年度の輸入額のうち、最も割合が多いのは電気機器類(半導体等電子部品、IC、絶縁電線・絶縁ケーブル、音響映像機器(含部品)、重電機器、通信機、電気計測機器)の16.7%、11兆3543億5500万円であり、次に鉱物性燃料(原油および粗油、石油製品、液化天然ガス液化石油ガス、石炭)の16.5%、11兆2540億9900万円である[5]。これらを“制する“必要がある。”制する”手段の例として、日本国内に半導体工場を建設し、自国の生産能力を拡充することと、風力発電所太陽光発電所、中小水力などの再生可能エネルギー源を確保し、自前でエネルギーを調達できるようにすることが考えられる。他にも、食料自給率の向上、工場の国内回帰、原発の再稼働、断熱工事による消費電力の削減、リサイクルの推進など、効率を上げ、無駄を減らし、自給能力を増やし、輸入を減らす行為はすべて、”制する“ことに含まれる。

 

(b)自国の内部から調達する場合。

 日本国の中には、国民、領土、日本国政府日本銀行、民間銀行、民間企業がすべて含まれる。日本国政府が、日本銀行から、自国通貨建てで借金をする場合、これは日本国内部でのやりとりとして解釈される。したがって、政府の借金が他の経済的主体(日本銀行、民間銀行、企業)にどのような影響を与えるかを検討しなくてはいけない。また、自国通貨建てである以上、どこかで誰かがその通貨を発行しているはずだ。すくなくとも、企業や家計ではないことは確かである。

 政府が自国通貨建てで借金し実物資産を入手する手順は、いくつものWEBサイト[6]や書籍[7][8]で指摘されているが、改めてここでも検討する。(a)と同じように、日本国政府世界銀行から借金したように、日本国政府日本銀行から借金をした場合を考える。これは、日本国政府国債を発行し、その国債日本銀行が引き受けた場合と同じである。

 初期状態として、100億円の実物資産があるものとする。そして、日本国政府が100億円の国債を発行し、この実物資産を購入した場合を考える。手順を以下に示す。

 

 手順1:民間企業が、実物資産を生産する。

 手順2:日本国政府が、国債を発行して、日本銀行から資金を調達する。

 手順3:日本国政府は、小切手を発行して、民間企業から実物資産を購入する。

 手順4:民間企業は、小切手を銀行に持ち込む。民間企業の預金口座に預金が振り込まれる。

 手順5:民間銀行は、日本銀行に小切手を持ち込む。日本銀行は政府口座から民間銀行の口座に移す。

 

 手順1を経た状態を以下に示す。民間企業は、100億円分の実物資産を持っている。

 

経済的主体

資産[単位:億円]

負債[単位:億円]

政府

 

 

 

 

日本銀行

 

 

 

 

民間銀行

 

 

 

 

民間企業

実物資産

100

 

 

 

 手順2を経た状態を以下に示す。政府は、預金という資産と国債という負債を持つ。日本銀行は、国債という資産と(政府の)預金という負債を持つ。

 

経済的主体

資産[単位:億円]

負債[単位:億円]

政府

預金

100

国債

100

日本銀行

国債

100

(政府の)預金

100

民間銀行

 

 

 

 

民間企業

実物資産

100

 

 

 

 手順3を経た状態を以下に示す。政府が小切手を発行し民間企業の実物資産と交換した。このため、政府のバランスシートには実物資産が加わり、負債には小切手が加わった。民間企業の実物資産は、小切手に変わった。

 

経済的主体

資産[単位:億円]

負債[単位:億円]

政府

預金

実物資産

100

100

国債

小切手

100

100

日本銀行

国債

100

(政府の)預金

100

民間銀行

 

 

 

 

民間企業

小切手

100

 

 

 

 手順4を経た状態を以下に示す。民間企業は、小切手を民間銀行に持ち込む。ここで、民間銀行は、小切手を自らの資産とする代わりに民間企業の口座に代金を振り込む。ここで、お金が新しく発生する。また、民間企業の預金は、民間銀行の負債となる。

 

経済的主体

資産[単位:億円]

負債[単位:億円]

政府

預金

実物資産

100

100

国債

小切手

100

100

日本銀行

国債

100

(政府の)預金

100

民間銀行

小切手

100

(企業の)預金

100

民間企業

銀行預金

100

 

 

 

 手順5を経た状態を以下に示す。民間銀行は、小切手を日本銀行に持ち込む。日本銀行は、政府の口座にある預金を、民間銀行の口座に移し替える。なお、この過程で、日本銀行の負債の額は変わらない。民間銀行の小切手という資産は、預金という資産に変わる。政府は、資産の預金と負債の小切手を失う。

 

経済的主体

資産[単位:億円]

負債[単位:億円]

政府

実物資産

100

国債

100

日本銀行

国債

100

(民間銀行の)預金

100

民間銀行

預金

100

(企業の)預金

100

民間企業

銀行預金

100

 

 

 

 手順5ののち一定時間が経過すれば、実物資産の価値は減価償却により0になる。日本銀行と民間銀行の資産と負債は互いに打ち消しあう。残るものは民間企業の資産である銀行預金と、政府の負債である国債となる。これが、「国の借金」と呼ばれるものの正体である。

 バランスシートを見ればわかるように、政府の借金と民間の預金は裏表の関係にある。国の借金をなくすということは、民間の預金をなくすことと同一である。政府の債務残高は、今までに発行した貨幣の総量にすぎない。したがって、問題にすべきは、「貨幣の総量は適切か?」であり、債務があることそのものではない。MMTでは、適切かどうかの判定基準の候補として、インフレ率を挙げる。日本は過去20年間にわたって、デフレが続いており、返済すべき状況ではない。

 

 外貨建て債務と自国通貨建て債務でなぜ扱いが異なるのか?その前に、何が同じか確認する。

 銀行は、返済できる経済的主体に対してお金を貸す。ここでいう”返済できる”とは、次の要素を持つ。”意志”と”能力”と”信用”である。

 あなた自身が誰かにお金を貸す場合を考えてみれば良い。”意志”のない人物。銀行に何億円もの預金を持ち、高級車を乗り回し、誰もが大金持ちとみなしているが、常に「借りた金は返さない」と言い放ち、実際その通りの人物にお金を貸すだろうか?貸さないだろう。

 “能力”のない人物。人当たりは良く、「返す返す」と口だけは達者だが、銀行預金は0円で、定職にも付いておらず、働く気配のない人物にお金を貸すだろうか?貸さないだろう。

 “信用”のない人物。ある日誰か全く見知らぬ人物があなたを訪ねてきて、こういう。「お金を貸してくれ。」あなたは貸すだろうか?おそらく、貸さないだろう。返済するという”信用”がないからだ。

 国家や政府や企業に対しても同じである。世界銀行が、1961年当時の日本国政府にお金を貸したのは、返済できると判断したからだ。民間銀行は、貸す相手を審査し、返済できると判断した顧客に対して融資する。日本銀行は、返せると判断するからこそ日本国政府にお金を貸す。

 したがって、”返済できる”という”信用”を作るためにも、借りたお金は返さなければいけない。

 

 次に、外貨建て債務と自国通貨建て債務で違うことを確認する。

 返済手段と返済能力は異なる。外貨建ての場合の返済手段は輸出である。ドルを稼ぐためには、実物資産を輸出し、輸入する実物資産を減らしその差額を回さなければいけない。ここで、”能力”には国外で実物資産を販売しドルを稼ぐ能力が含まれる。

 自国通貨建ての場合の返済手段は、徴税である。自国通貨建てであるから、当然、自国内でのみ使われる。輸出を増やし輸入を減らしても、自国通貨を回収できない。

 

 政府は、自国建て債務の返済を、政府自身の都合で決めてはいけない。

 外貨建ての場合、貨幣の使用者と貨幣の発行者は分離している。ドルの場合、日本国政府はドルの使用者であり、アメリカ政府がドルの発行者である。この場合、ドルの使用とドルの発行は直接の関係がない。この場合、信用を作るためにも、借金は返済したほうが良い。

 自国通貨建ての場合、政府による貨幣の使用と、貨幣の発行は同時に行われる。政府が、自国通貨建てで借金することは、貨幣の発行である。政府が自国通貨建ての借金を返済することは、貨幣の消滅である。日本国政府による自国通貨の使用と、自国通貨の発行は同時に行われる。そして、民間同士(例えば、企業と家計、企業同士)は発行した貨幣で様々な経済的取引を行う。したがって、自国建て通貨の発行と返済は、国の経済に影響を与える。貨幣の総量が増加し、実物資産の総量が一定であれば、一つ一つの実物資産に割り当てられる貨幣が増加する。これは、インフレと認識されるだろう。逆に、貨幣の総量が減少し、実物資産の総量が一定であれば、一つ一つの実物資産に割り当てられる貨幣は減少し、デフレと認識されるであろう。ゆるやかなインフレが望ましいのであれば、常に日本銀行から借金をし続け、民間にお金を流すべきということになる。

 ここで、日本国政府は、相反する判断基準に悩むことになる。信用を確保するためにも、借金は返済したほうが良い。しかし、民間の経済に対する影響を考えれば、借金を返済せず、ゆるやかに増やしたほうが良い。

 このジレンマの解決策は、

「すべての借金をいつかは返さなくてはいけない。しかし、今返す必要もないし、すべてを返す必要もない。」

 と、返済を先送りすることである。

 日本国政府は、返済するという”意思”を持っている。少なくとも、無税国家を宣言したりはしていない。日本国政府は、徴税能力という”能力”を持っている。立法により、日本国内の経済的主体から税金を取り立てることができる。そして、毎年定期的に国債を返済している実績があり、これからも国債を返済し続けるだろうという”信用”がある。

 日本国政府は、”意志””能力””信用”を持ち合わせているから、日本銀行が貸し出しを断る理由がない。

 無税国家などを宣言してはいけない。それは”意志”を棄損する行為であるからだ。税務署の廃止や解体もしてはいけない。それは“能力”を棄損する行為である。そして、日本国政府は、日本銀行から、「こいつは返済する”能力”も返済する”意志”もあるやつだ。これからも返済し続けるだろう。」と”信用”され続けなければならない。そのためにも、毎年一定額を返済し続けなければいけない。そして、返済した額よりも、ちょびっとだけ多い額の借金をして、借金の総額を緩やかに増やしていけば良いのである。

 

 

[1] 一例として、中野剛志,『矢野康治・財務次官「論文」、誰も指摘しない“あまりにもヤバい”問題の本質』,ダイヤモンドオンライン, https://diamond.jp/articles/-/285171, 2021.10.22

[2] 窪園博俊,『「矢野論文」が響かない理由 金融市場はなぜ無視するのか』,JIJI.com, https://www.jiji.com/jc/v8?id=202112kaisetsuiin007,2021/12/17

[3]林慶一郎・中野剛志,『激突!「矢野論文」バラマキか否か』,『文藝春秋2022年1月号 電子版』,2022,146ページ

[4] 『「対外純資産」356兆9700億円、海外で持つ「対外資産」は12年連続増』,読売新聞, https://www.yomiuri.co.jp/economy/20210525-OYT1T50089/,2021/5/21

[5] 財務省,財務省貿易統計,https://www.customs.go.jp/toukei/shinbun/trade-st/2020/2020_117.pdf

[6] 中野剛志 構成:田中泰,『中野剛志さんに「MMTっておかしくないですか?」と聞いてみた 第3回「コロナ恐慌」で国民が“どん底”に突き落とされないために、絶対に知っておくべきこと』,ダイヤモンドオンライン,https://diamond.jp/articles/-/230693?page=4, 2020/4/2

[7] L・ランダル・レイ 監訳:島倉原 訳:鈴木正徳,『MMT 現代貨幣理論入門』,東洋経済新報社,2019

[8] 井上智洋,『MMT 現代貨幣理論とは何か』,講談社,2019