【閑話休題】いくつかの疑問とその回答

この項では、経済に関するいくつかの疑問について、これまでに述べてきたことを基に、筆者自身の考えを述べる。

脱成長は目指すべきか?

回答:目指すべきではない。

そう考える理由:いま、私たちが生きているこの世界はユートピアではない。気候危機は解決されていない。薬物に苦しんでいる国もある。少子化対策も必要である。疫病、教育、環境、貧困…解決すべき問題は山積みとなっている。これらの問題を一つ一つ解決してゆけば、解決した分だけ価値が生まれる。そして、貨幣は価値に対応したものなのだから、価値が生まれた分だけ貨幣が生まれる。結果として、新しく生成した貨幣の分だけ、経済成長するであろう。

 脱成長して良いのは、この世界が持続可能なユートピアになったときだ。今はそうではない。

 

財源が不要ならば、無税国家を宣言することはできないのか?

回答:できない。

そう考える理由:日本においては、借金は返済すべきものと考えられている。借金を返済すると信用ができる。信用ができると、次はもっと大きな借金をすることができる。

 ある人が、ある年の4月に100万円のお金を借りたとする。その人は、借りたお金を、金庫に格納し、次の年の3月に100万円を返済したとする。そうすると、その人には「借金を返済できる」という信用ができるので、4月からは100万円をちょっとだけ超える借金(例えば102万円)ができる。単年度で見れば、借金を返済しているが、返済と同時にちょびっと多く借りているので、年を追うごとに借金の総額は膨らんでいく。だが、借金の総額が増えても別に困ることはない。借りたお金は、常に金庫の中に格納されており、いつでも取り出し、返済できるからだ。

 話を簡単にするために、政府が日銀から直接お金を借りることができる状況を想定する。政府が日銀からお金を借りる。年度の初め、政府は、財政支出という形で国民にお金を渡す。国民は、このお金で経済活動を行う。年度の終わりに、政府は、徴税という形で国民からお金を引き出し、借金を返済する。前の例と同じく、単年度で見れば、政府は借金を返済しているが、返済と同時にちょびっと多く借りているので、年を追うごとに借金の総額は膨らんでいく。

 さて、ここで、国民は金庫の役割を担っている。政府が無税国家を宣言することは、国民(=金庫)からお金を引き出す方法を、自ら放棄するということを意味する。

 その場合、政府は、「借金を返済できる」という信用を失い、日銀からお金を借りることができなくなるであろう。結果、国民の持つお金の量は増加せず、経済活動は停滞するであろう。無税国家を宣言することはできない。

 

国債を、「国の借金」と呼ぶことの何が不適切なのか。

回答:日本国政府のバランスシートを考えたとき、借金も国債も、負債の項目に分類されることは同じである。しかし、「借金」という単語だけでは、「外貨建ての借金」か「自国通貨建ての借金」かの違いが区別できない。別の言い方をすれば、通貨の発行主体が、ある経済的主体の内部に存在するか、外部に存在するかの区別ができていない。

 日本国政府が、「外貨建ての借金」、ドル建てやユーロ建てや人民元建ての借金を持っている場合、日本国内にはそれらの通貨を発行できる機関はない。したがって、日本国政府および日本国を構成する経済的主体は、日本国の外部からそれらの通貨を調達する必要がある。調達のためには輸出などの経済的取引が必要になる。このとき、借金の返済と外貨を稼ぐための労働(例えば輸出)はセットである。だから、今楽をすると、将来返済するための苦労が待っている。

 自国通貨建て借金の場合は、自国の内部に通貨の発行主体がある。そして、発行された通貨も自国内にとどまる。借金をすることは、通貨を発行することと同じ意味になる。この場合、借金を返済するために働く必要はない。国内から通貨を回収すれば良いからだ。この回収方法は、徴税と呼ばれる。

 もう一つの問題は、「国」という単語のあいまいさである。

 「国」という単語では、「政府」か「家計」か「企業」か「地方自治体」かが、区別できない。「外貨建ての借金」の場合は、区別しなくても問題がない。政府も家計も企業も、外貨を発行していないからだ。どの経済的主体にとっても、等しく負債だからだ。「自国通貨建ての借金」の場合は、負債は政府の負債であって、国民の負債ではない。国債発行による財政支出の手順を確認すればわかるとおり、国債による財政支出をすることで、政府の負債が増えると同時に、国民の資産(銀行預金)も増加する。

 日本国債の場合は、「国の借金」ではなく、「政府による自国通貨建ての負債」と呼ぶべきである。

 

私たちは、一般的な常識として「借りたものは返しなさい」と教えられている。であるならば、「国の借金」も返済すべきではないのか。私たちが借金を返済する必要があり、国が借金を返済する必要がないのはなぜか。

回答:この質問に答えるためには、「国の借金」が自国通貨建てか、それとも自国通貨建て以外なのかを明確にする必要があります。
もし、自国通貨建て以外での借金であれば、一般的な常識のとおりに返済する必要があります。例えば、自国通貨建て以外の借金、ドル建ての「国の借金」があるとしましょう。日本国民も日本政府も日本企業もドルの発行者ではありません。ですから、ドルを稼ぎドルを返済する必要があります。ドル建ての代わりに、ユーロ建てでも、人民元建てでも、ジンバブエドル建てでも同じです。いずれの通貨も自国通貨ではないからです。政府の立場と、日本企業および日本国民の立場は同じです。
 しかし、自国通貨建ての場合においては、政府の立場と、日本企業および日本国民の立場は異なります。なぜならば、政府が借金をするプロセスが、自国通貨の生成過程に組み込まれているからです。このとき、自国通貨は銀行預金の形をとります。政府が自国通貨建てで借金をすればするほど、企業や国民が使える自国通貨(銀行預金)の量は増えます。逆に、政府が借金を返済すればするほど、自国通貨(銀行預金)の量は減ります。
 政府の国債は、民間銀行を介して、日銀に購入されています。したがって、最終的に政府は日銀に対して借金を負うことになります。この借金は、返す必要はあります。問題は、いつ・どれだけ返済するかです。
 仮に、本年度末に、日本政府がその自国通貨建ての借金をすべて返済したとしましょう。翌年度に、日本政府ができることは、完済額よりもちょっとだけ大きい額の借金ができる。それだけです。これは、日本政府が新規国債を発行し、新しく借金するのと何も変わりません。
 日本政府は、民間の預金を集めることはできません。日本政府が持つ日銀当座預金という資産と、国民や企業が持つ銀行預金という資産は、民間銀行のバランスシート上、同じではありません。なぜなら、日本政府の日銀当座預金は民間銀行の資産として計上され、国民や企業の銀行預金は負債として計上されます。したがって、日本政府は外貨準備高をドルで積立てるように、民間の預金の積み立てることはできません。
そもそも、借りた物を返さなければならない理由はなんでしょうか?
考えられる理由のひとつは、「借りた物を返す」という信用を積み立てることです。信用を積み立てるためには、毎年、返済すればよいのであって、完済する必要はありません。
 もうひとつの理由は、返さないことで誰かに迷惑がかかる可能性があるためです。例えば、図書館の本を返却しない場合、その本を読みたい利用者がいつまでたっても借りられず、悲しい思いをするかもしれません。
 しかし、政府が自国通貨建てで借金する場合、貨幣を作り出しているのですから、誰かの迷惑になるわけではありません。国民や企業から見ればお金が増え経済的なパイが増えるわけですから、喜ばしいことです。むしろ、返済するほうが、お金の総量は減り、国民や企業の迷惑になります。