価値と貨幣

いままでに説明してきた価値のイメージは次のようなものです。



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 まず、実物資産が存在します。実物資産については既に述べたとおりです。次に、これらの実物資産を、価値観というスポットライトで照らします。このスポットライトでできる影が価値です。

 実物資産だけ存在しても、それを評価する価値観がなければ価値はありません。また、皆が認める価値観があったとしても、実物資産がなければ価値はありません。

 前者の例としては、価値のないものを売ろうとする人を考えれば良いでしょう。例えば、つげ義春の短編漫画『無能の人』のなかの『石を売る』エピソードです。これは、ある男が家族を養うために、石を売ろうとする話です。しかし、誰もその石に価値を認めないため、売れません。

 後者の例としては、水源の見当たらない砂漠の真ん中で、お金を持ったまま「水を買いたい。」と、叫んでいる人を想像すれば良いでしょう。水は重要な価値を持ちます。のどの渇きをいやし、生命を維持するためにも必須です。"持続性"という価値観に基づいた場合、水は重要な価値を持っています。しかし、砂漠では水という実物資産がありません。だから、価値も発生しません。

 実物資産が存在し、かつ、その実物資産を評価する価値観がある場合において価値は発生します。

 経済的取引とは、実物資産と、価格相当の貨幣を交換する行為です。マテリアルと貨幣の交換、用役と貨幣の交換、リソースの占有と貨幣の交換、情報の利用と貨幣の交換です。

 交換に必要な貨幣の量は、実物資産が提供する価値の量と同じです。ということは、ある社会のある時点において、貨幣の総量は、ある社会のある時点における価値の総量を示します。たとえば、日本社会に、1000兆円の貨幣(現金+銀行預金)が存在するということは、日本社会のどこかに1000兆円相当の価値が存在することを示します。

 貨幣とは、商品ではなく、価値の量を測るための一種の点数と考えたほうが、見通しが良いと考えられます。

 いずれ後述しますが、貨幣の発行と国債の発行は表裏の関係にあります。つまり、貨幣を発行するためには国債の発行が必要であり、また、国債が発行されたということは、それと同額の貨幣が発生したことを意味します。そして、経済的取引において、貨幣の量と価値の量は対応するように取引を行います。これが、財政再建をおこなってはならない理由の一つです。なぜならば、借金を減らすということは、国債を減らすということです。国債を減らすということは、貨幣量を減らすということです。そして、貨幣量を減らすことは、価値を減らす方向に、取引を行う圧力がかかるためです。